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みんなの小さな幸せ日記

みなさんの小さな幸せ集めました。

小さな幸せだらけの毎日

昔は、何かあるたびに自分だけ何で不幸なのだろうとよく思っていました。


そんな私が毎日が小さな幸せだらけだなと思うようになったきっかけは、一人で海外旅行をした時の事でした。


全くのノープランで、自分の好きな場所を巡るという思い付き旅行でした。そして、行く先々で出会ったのは、観光客に物乞いをする老若男女の人々の姿でした。次から次に観光客に声をかけて取り合われないとまた次の観光客へ声をかける、とその繰り返しでした。

 

小さな子供から老人まで、日本では絶対に見る事のない光景を目の当たりにして驚きが隠せませんでした。


自分のところに来た時に、手を差し伸べようかと思いました。でも、ここで助けてあげるとこの人達は、ずっとこの行動を繰り返しそこから先へは進まなくなると思い断りました。


確かに生きていくのに大変なのかもしれません。だけど、ずっとこの状況でいいはずがありません。自分を変える事で別の道を歩いてほしかったのです。海外の過酷な現実を自分の目で目の当たりにする出来事となりました。


そこから私は日々、ご飯が食べられる事に喜びを感じるようになり、自分の中で起こった出来事なんて世界の人々にとってはちっぽけな事なのだなと思い感じるようになりました。生まれた場所や環境が違えば、自分だったのかもしれません。

そう思うと、温かいご飯を食べ、お風呂に入り、きれいな服を着て、ふかふかの布団で寝るという当たり前の事が幸せなのだなと思いました。


だから私は毎日の生活が小さな幸せでいっぱいです。

自分よりも誰かのために

暗い書き出しになってしまいますが、私は小学生の頃に火災で弟を亡くしてしまいました。 当時小学5年生の私、力もなく、背も小さく、根性もなく、度胸もなく、ただただ燃え崩れて行く我が家を眺める事しか出来ませんでした。


本当に涙が止まりませんでした。自分の無力さに涙を飲むだけでした。


私の意識はここからがらりと変わりました。強くなりたい、もうあんな思いはしたくない。そこから小学、中学、高校と小さい頃からやっていたスポーツを続け、高校卒業すぐに、陸上自衛隊へ入隊しました。

 

かなりざっくりですが、私が入隊を決意したのは過去の経験から、自分なんかよりも誰かのために身を挺して尽くす事、もちろん、自衛隊にいる以上、災害派遣などでその機会はやってきました。

 

何もない事が一番なのですが、必ず出動する機会は出てきます。こんな事も書きながらも今は自分が本当にやりたかった仕事に就きまして、自衛隊は2任期満了(4年間)でやめてしまいましたが、自衛隊を2年以上続けた人が入る事を許される、即応予備自衛官に所属しています。

 

簡単に説明しますと、普段は民間人、有事の際には自衛隊と共に出動する事です。そのために、定期的に、自衛隊と同じ訓練を受けなければなりません。普段は仕事終わりにジムに通うようになりました。


誰かのために、それは家族だったり、恋人だったり、友人だったり、そこらで困ってる人だったり、そんな事に手を差し伸べてあげる事に私は本の少し、幸せを感じます。

私の小さな幸せの一つ

私の小さな幸せは、子供の顔を見ることです。どういうことかというと、私は現在単身赴任をしています。

 

また、一昨年の夏に初めての子供を授かりました。現在1歳と半年になるのですが、昨年の暮れまでは産まれてからずっと一緒に生活していたのですが、訳があって現在は別々に暮らしています。

 

別に離婚を考えているとかは全然ないのですが、やはり子供の顔を見れないというのは寂しいものです。しかも、それと同時に嫁の顔も見ることが出来ませんので、それも寂しいものです。

 

できれば毎日見たい気はしますし、出来ることならば一緒に生活したいです。では、何が私にとって小さな幸せかといいますと、毎日送られてくる嫁からの子供の写メです。

 

今の仕事はそこまで忙しくありませんし比較的休みも取りやすいので、金曜日や月曜日に休みを取って三連休にして毎週帰りたいところではあるのですが、当直などあったりしてどうしても嫁が住んでいる実家の方へ連休でなかなか帰れないのが現状です。

 

帰ることは出来ませんが、今はスマホという便利な道具がありますので、それで毎日毎日変化するわが子の顔を見ることは、今の私にとっての小さな幸せになっています。また、たまに送られてくる嫁の写メ付きの場合にはさらにいいです。

ハッピーを感じられる自分になる

私は結構ハッピーな人間だと思います。
言い換えれば、ハッピーを感じやすい人間なのかもしれません。

生きていれば、嫌なことなんてたくさんあります。
人の心ない発言に傷つくことだってあるし、自分ではコントロールの及ばない出来事で、一気に辛い状況に陥ることだってあります。

でもそんな中で、マイナス思考でしか物事を考えられなかったら、辛い状況にどんどんと足元を掬われる一方です。
どんどん自分が不幸になっていくだけです。

不幸な人というのは、不幸な状況から這い上がる手段を知らない人。

だから這い上がる手段がわかれば、誰だってハッピーでいられるんです。

手段は簡単。
自分の中の「小さな幸せ」をコツコツ増やしていく作業をすればいいんです。
初めて作った料理が上手に出来た、庭に咲いている花が咲いていてきれいだった、会いたかった友達にバッタリ会えた、昨日よりたくさん笑った、好きな誰かを笑わせることが出来た。
何だっていいんです。あ、嬉しいな、と思える「小さな幸せ」をたくさん感じられるようにする作業は、やがて作業ではなくなり、いつしか身に付いて自然と感じられるようになり、小さかった幸せの一つ一つが一緒になって、大きな幸せになる。
幸せをたくさん感じられる自分になれれば、もうあなたはハッピーな人です。

クヨクヨしていても何も始まらない。
前を向いて「小さな幸せ」探しに出かけてみませんか!

大切な人が出迎えてくれる家

私の小さな幸せと言えば、家に帰った時に大好きな人が待っていてくれる事です。
自分が家にいても大切な人が帰ってくる居場所に自分がいる事こそが私にとっての幸せです。


まだ家族とは言えませんが、毎日ご飯を作ったり洗濯をしたり、掃除機をかけたり、もちろん私にも仕事はありますが、誰かの為に何かをする喜びを日々感じています。
そんな他愛もない日常が私は好きです。

お揃いのコップでテーブルを囲み、同じ時間に同じTVを視聴し、寝るときには横にいる。


誰もが生活の上で経験する事だと思いますが、時間を共有出来る事がどんなに大事かを改めて知る事が出来た今だからこそかもしれません。

人だからこそ当たり前に感じてしまいやすい日常ですが、傍で支えてくれる人がいる事がどれだけ大切な事かを私自身も忘れる事がないようにします。

私が小さな頃、家に帰ると「おかえり」と声をかけてくれた家族のように、今度は私が「おかえり」と見守っているんです。


季節に関係なく温かい家が私は大好きです。


そんな私の小さな幸せが伝わるように、これかも当たり前を当たり前に感じないような居心地のいい空間を大切にしていこうと思います。
私にとって日常の全てがきっと幸せなんだとも思えます。

妊活中のわたしのちいさなしあわせ みーつけよ

私は3月で30になる。20代最後の日々を何気なく、のんびり過ごしている。もともとマイペースなわたしだから毎日が気づいたら終わっていっている感じで 特になにもしてないんだけどなあといつもこんな感じ。


そんな私もやっぱり周りが結婚、妊娠と順調にいっていることがとても羨ましくて焦ってしまったこともあった。今も余裕といったらきっとうそになる。
けど、最近やっと「いま」を受け入れられるようになってきた。


もともと生理不順で生理が遅れたら妊活のスタート地点にも立てないじゃないかと自分を責める日々もあったけれど、いまは子供がいない夫婦の時間を楽しまないと もったいない!と前向きに思えるようになってきた。

 

悩んでも悩んでも結果が変わらないことに悩むのはばかだ。


でも一度くらい立ち止まって悩んでも、そこから立ち上がれるならそれは意味のある時間だったんじゃないかと。


そういえば私ってとってもポジティブなんだったって最近思い出しました。


だから最近はもし子供ができたら、とプレッシャーにとらえるんじゃなくて、男の子だったら女の子だったらこうなんだろうなっていい意味で 楽しく妄想したり。

 

いまの私にしか楽しめないことがあるはずだから。乗り越えられることしか神様は試練をあたえないはずですよね。

日々の暮らしで小さな幸せを感じた事

家族みんなで出かけました。外食したり、祭りの出店なんかで買い物したり。外食では、定食を食べるつもりが祝日で定食なくて、適当に頼んだら結構な金額になったりしました。

 

また、出店では、相手の人に騙されてとはいかないものの、くじ引きで結構な金額をつぎ込んでしょうもないものを買ったりしました。昔のゲームセンターみたいなところでよくわからないガチャガチャにお金をいれて買ったり。

 

おかげで財布はずいぶん軽くなりました。出かけた一日、お金ばかりかかってあんまりよい使い方ではなかったのですが、というより、無駄でバカなお金の使い方をして不幸にちかいぐらい。それでも、ふと歩いているときになぜか小さな幸せを感じました。

 

本当になんという事はないのですが、家族みんなで一緒に同じ道を歩いているという事、それだけで幸せを感じるんだなあと不思議な感じがしました。一人で生活している時には感じられない幸せでした。幸せというものは、

 

すごく良いことや激しい楽しさの中にあるものだと思っていましたが、安心感や日常の中にもあるのだと実感できました。


こういった幸せと感じれる日々こういった小さな幸せを積み重ねて、これからも家族と生きていく事が出来れば良いなあと思いました。

コーヒーとお菓子の香りの最強コンボ

小さな幸せはお休みの日にゆっくりとコーヒーを淹れている時です。


特にコーヒーにこだわりがあるわけではないので、1パックずつ個包装されているものですが、


部屋の中にコーヒーの香りが漂うと何とも言えない気持ちになります。


また、お休みの日にはクッキーやケーキなどの焼き菓子を作る事も多いので、


部屋の中が甘いお菓子の香りでいっぱいになるのも好きです。


コーヒーとお菓子の香りのコンボは本当に贅沢な時間だなと思います。


午後にはよく日記を書いているのですが、これも自分にとっては小さな幸せです。


日記とは言っても文字だけではなく、イラストを入れたり、写真を入れたり、


マスキングテープやシールを貼ったりして、カラフルに仕上げています。


このデザインを考えて紙に自由に表現するのがとても楽しいです。


日記なので、もちろん楽しいことばかりではないのですが、


ストレスが溜まりそうな一日でも日記を書いている間は、 気持ちが落ちてしまう事が少ないです。


その日の気分を色で表現したり、デザインとして考えたりするのが、 かえってストレス発散になっているのかもしれません。


完成した日記のページがよくできた時にはまさに至福のひとときです。


完全に自己満足なのですが、達成感もあり、徐々に日記帳が厚くなっていくのが幸せです。

愛犬と過ごすちいさなしあわせ ソファで一緒に

私には3つ年が離れた妹と、弟として入ってきたのにいつの間にか年を追い越されてしまったおじいちゃん犬がいる。


最近は足腰が弱ってきた愛犬。でも相変わらずグルメで好き嫌いがあってこにくたらしいような、愛らしいような。


可愛がられて育っているため立派な箱入り息子、いや箱入りおじいちゃん犬。


そんな私と愛犬の毎日の日課がある。それは私がソファの上に乗って寝そべり毛布をかけると、愛犬が大喜びでとんできて私のおなかの上に飛び乗ってくるのだ。


そして一緒にお昼寝タイム。たまに私の顔の上におしりをおきやがるのでどかしたりする。私が言うのもなんだけどとっても仲良し。


私がお昼を食べているとこっちを見ながら食べたそうな顔で口をもぐもぐしているため、味の濃いものは水で洗ってあげたりして一緒に同じものを食べることもしばしば。


そんな愛犬も毎日外に出すたびに、やっぱりよたよたしていてとても切なくなる。まだまだ長生きしてくれなきゃ困るから。とアツイ視線を送っているんだけど気づいているかな。こうして今日もまた一日が終わる。また明日がくる。


一日一日をたいせつに一緒に何気なく過ごせる時間をたいせつにして一緒に生きていこうね。大好きだよ。

近くにあるのになかなか気づけないもの

私自身小さな幸せを意識して生活をしたことがなかった。そもそも今まで幸せと感じることが少なかったからかもしれない。

 

今思えば、親からのプレッシャー、教師からのプレッシャーや上司からのプレッシャー。環境は変わっても、日々プレッシャーの中にいて考えることができていなかったのだと思う。もちろんそれは私だけでなく、日本国民のほとんどが経験することなのではないだろうか。

 

これは過去の話であり、今現在私は小さな幸せをたくさん感じて生きている。例えば朝起きて、出勤出来る会社があるのが幸せ。彼女がお昼のために作ってくれるお弁当が幸せ。毎日おはようとおやすみが言える人がいるのが幸せ。

 

暖かいお布団で毎日寝られるのが幸せ。日常の中には小さくてもこんなにも幸せになれるものがたくさんある。ひとつひとつは小さくても感じる幸せに小さいも大きいもないと思う。幸せなものは幸せなのだから。

 

小さなことでもたくさんの幸せがたくさん落ちている。そういうのを見つけて行く楽しみもあるのではないかと思う。あ、そうそうこれは関係のない話かもしれないが来年私は結婚します。

 

これもたくさんの小さな幸せが積み重なったものだとおもっている。すぐ近くにあるのになかなか気づけないものでした。