現在の私の小さな幸せ
結婚して15年たとうとしていますが、独身時から、結婚10年目くらいまで、ずっと働いて来ました。
子供も出来なかった為、このまま定年まで働いて少しでも老後の資金を貯めなければ、と思っていました。
結婚10年目に夫がそれまで勤めて来た会社から独立して、自分で仕事をするようになり、人手が足りないという事で、私も退職し、夫の仕事を手伝いましたが、慣れない工事仕事で腰を痛めてしまい、続ける事が出来なくなりました。
幸い夫の方も、人手が出来、私は仕事に出る必要がなくなり、今は専業主婦です。
最初のうちは、ずっと働いてきた会社を辞め、慣れない仕事で腰まで痛め、犬の散歩にも苦労する始末で、本当に情けない話だと、少し落ち込んでいました。
しかし、一生懸命に働く夫を見ているうちに、考え方も変わって来ました。
仕事も無くし、貯金も底をついてまた最初からになりましたが、あの時の判断はきっと間違ってはいなかった、と思うようになりました。
今は毎日朝、夫を仕事に送り出し、一通りの家事を終わらせて、自宅でこざこざした事務仕事をしたり、たまにこうして文章を投稿したりしている時に、静かな時間を過ごす事が出来て、小さな幸せを感じています。
大好きな温泉の代わり。
2番目の子が産まれてからは仕事をしていなかったので、子供が少し大きくなれば、上の子が小学校に行っている昼間でも連れて、一緒に近くの温泉に行って疲れを癒し、ストレス解消ができるのをとても楽しみにしていたのですが、初めて連れて行った時は大泣きしてしまい、全くお湯に浸かることができませんでした。
まだ1歳だったし、初めてだったのだから仕方ないと、その後も慣れるまで数回連れて行きましたが、慣れるどころかどんどん泣き声が大きくなるばかりで、他の人の迷惑にならないよう、無理に行くことをやめることにしました。
仕方がないので、自宅で気に入った入浴剤にじっくり浸かって、少しでもストレス解消をしようとしましたが、大好きな発泡タイプの入浴剤を用意すると
「僕が入れる!」
と上の子が入れたがるのです。
家のお風呂は追いだきができません。ぬるめでないと入れないその子が、私と下の子が体を洗ったあとで入浴剤を入れるので、既にぬるく、満足ができない状態だったため、
「入浴剤は私が入れる!我慢して!」と大人げなく子供に宣言しました。
子供は不満そうでしたが、熱々のお風呂に入浴剤を入れた時のシュワーっとした瞬間が今の私のストレス解消になっています。
小さな幸せですが、今はそれが最高の楽しみです。
寒い時のホットココア
私の小さな幸せは、ホットココアを飲む瞬間でした。特に冬は冷え性なので、いつも寒い状態が続いていますが、そんな時にホットココアを飲むと、あったまるのと同時に穏やかな気持ちになります。
昔はあまりココアを飲む習慣はなかったのですが、きっかけは体調崩して病院に検査に行き、診察が終わって支払いを待っているときに、お母さんが自動販売機でホットココアを買ってきてくれて、この時のココアがすごく身に染みておいしかったことを覚えています。この時からココアという飲み物が自分の中で少し特別なものになり、冬のご褒美のような存在になりました。
また調べてみるとここ3度に体温める効果もあるようなので、冷えが習慣になっている方にもすごくオススメの飲み物です。牛乳を入れたり自分の好きな事にアレンジして、家で飲むのも大好きです。
ただ毎日飲むとあまりありがたみがないし、糖分も多くとってしまうと思ったので、最近は何か自分が頑張った時のご褒美として買うことが多いです。今やいつでもあったかい飲み物がボタン1つで買えるので、今だと思った時に、買ってそのまま飲むこの瞬間がとても幸せです。
もともとチョコレートも好きなので、カカオつながりでポリフェノールも取れて健康的にも良いと思っています。
毎日少しの幸せ。私の王子様。
私は×2になる決断をしたのは旦那のマルチ商法でした。子供を連れていかない。
約束はきちんと守る。そんな些細な約束すら守れずにマルチ商法にハマッてしまった旦那でした。
上の子は元旦那との子で既に小学生高学年です。しかし下の子はまだ4歳で離婚なんてわかりません。パパと一緒に居たいなんて言ったらどうしようと不安でたまりませんでした。
しかし、元々生活費が足りない私は朝昼夜とがっつり仕事をしていて、私が夜のバイトが休みの時は決まってマルチ商法に出掛けていて居ませんでした。なので、だいたいどちらかしかいないので、下の子もパパは?と聞く事はほとんどなくて平和に忙しく日々過ごしていました。
そんなある日、私は追突事故にあいました。元々力仕事で痛めていて我慢し続けた身体はむち打ちが更に悪化して痛みに耐えるのに必死でした。
私は喘息があり痛み止もアスピリンによりなかなか飲めなくて飲めるのを最大まで出してもらったのですが、痛みと眠気のオンパレードです。子供達を見てくれる身内など私には居なくて家事も育児もぎこちなくこなしていました。
子供達には申し訳なくて家事にも手をぬき始めた頃、4歳の息子が、ママ!大丈夫だからね!僕が居るからね!と痛がってる私に向かって言ってくれました。
どこでこんなことばを覚えてきたのか、それ以来、小さな王子様は痛いと言うと優しい言葉をかけてくれます。
普段はあんなにやんちゃで言うことを聞かない王子様だけど、優しい王子様に毎日毎日少しの幸せを感じています。
小さな幸せだらけの毎日
昔は、何かあるたびに自分だけ何で不幸なのだろうとよく思っていました。
そんな私が毎日が小さな幸せだらけだなと思うようになったきっかけは、一人で海外旅行をした時の事でした。
全くのノープランで、自分の好きな場所を巡るという思い付き旅行でした。そして、行く先々で出会ったのは、観光客に物乞いをする老若男女の人々の姿でした。次から次に観光客に声をかけて取り合われないとまた次の観光客へ声をかける、とその繰り返しでした。
小さな子供から老人まで、日本では絶対に見る事のない光景を目の当たりにして驚きが隠せませんでした。
自分のところに来た時に、手を差し伸べようかと思いました。でも、ここで助けてあげるとこの人達は、ずっとこの行動を繰り返しそこから先へは進まなくなると思い断りました。
確かに生きていくのに大変なのかもしれません。だけど、ずっとこの状況でいいはずがありません。自分を変える事で別の道を歩いてほしかったのです。海外の過酷な現実を自分の目で目の当たりにする出来事となりました。
そこから私は日々、ご飯が食べられる事に喜びを感じるようになり、自分の中で起こった出来事なんて世界の人々にとってはちっぽけな事なのだなと思い感じるようになりました。生まれた場所や環境が違えば、自分だったのかもしれません。
そう思うと、温かいご飯を食べ、お風呂に入り、きれいな服を着て、ふかふかの布団で寝るという当たり前の事が幸せなのだなと思いました。
だから私は毎日の生活が小さな幸せでいっぱいです。
自分よりも誰かのために
暗い書き出しになってしまいますが、私は小学生の頃に火災で弟を亡くしてしまいました。 当時小学5年生の私、力もなく、背も小さく、根性もなく、度胸もなく、ただただ燃え崩れて行く我が家を眺める事しか出来ませんでした。
本当に涙が止まりませんでした。自分の無力さに涙を飲むだけでした。
私の意識はここからがらりと変わりました。強くなりたい、もうあんな思いはしたくない。そこから小学、中学、高校と小さい頃からやっていたスポーツを続け、高校卒業すぐに、陸上自衛隊へ入隊しました。
かなりざっくりですが、私が入隊を決意したのは過去の経験から、自分なんかよりも誰かのために身を挺して尽くす事、もちろん、自衛隊にいる以上、災害派遣などでその機会はやってきました。
何もない事が一番なのですが、必ず出動する機会は出てきます。こんな事も書きながらも今は自分が本当にやりたかった仕事に就きまして、自衛隊は2任期満了(4年間)でやめてしまいましたが、自衛隊を2年以上続けた人が入る事を許される、即応予備自衛官に所属しています。
簡単に説明しますと、普段は民間人、有事の際には自衛隊と共に出動する事です。そのために、定期的に、自衛隊と同じ訓練を受けなければなりません。普段は仕事終わりにジムに通うようになりました。
誰かのために、それは家族だったり、恋人だったり、友人だったり、そこらで困ってる人だったり、そんな事に手を差し伸べてあげる事に私は本の少し、幸せを感じます。
私の小さな幸せの一つ
私の小さな幸せは、子供の顔を見ることです。どういうことかというと、私は現在単身赴任をしています。
また、一昨年の夏に初めての子供を授かりました。現在1歳と半年になるのですが、昨年の暮れまでは産まれてからずっと一緒に生活していたのですが、訳があって現在は別々に暮らしています。
別に離婚を考えているとかは全然ないのですが、やはり子供の顔を見れないというのは寂しいものです。しかも、それと同時に嫁の顔も見ることが出来ませんので、それも寂しいものです。
できれば毎日見たい気はしますし、出来ることならば一緒に生活したいです。では、何が私にとって小さな幸せかといいますと、毎日送られてくる嫁からの子供の写メです。
今の仕事はそこまで忙しくありませんし比較的休みも取りやすいので、金曜日や月曜日に休みを取って三連休にして毎週帰りたいところではあるのですが、当直などあったりしてどうしても嫁が住んでいる実家の方へ連休でなかなか帰れないのが現状です。
帰ることは出来ませんが、今はスマホという便利な道具がありますので、それで毎日毎日変化するわが子の顔を見ることは、今の私にとっての小さな幸せになっています。また、たまに送られてくる嫁の写メ付きの場合にはさらにいいです。
ハッピーを感じられる自分になる
私は結構ハッピーな人間だと思います。
言い換えれば、ハッピーを感じやすい人間なのかもしれません。
生きていれば、嫌なことなんてたくさんあります。
人の心ない発言に傷つくことだってあるし、自分ではコントロールの及ばない出来事で、一気に辛い状況に陥ることだってあります。
でもそんな中で、マイナス思考でしか物事を考えられなかったら、辛い状況にどんどんと足元を掬われる一方です。
どんどん自分が不幸になっていくだけです。
不幸な人というのは、不幸な状況から這い上がる手段を知らない人。
だから這い上がる手段がわかれば、誰だってハッピーでいられるんです。
手段は簡単。
自分の中の「小さな幸せ」をコツコツ増やしていく作業をすればいいんです。
初めて作った料理が上手に出来た、庭に咲いている花が咲いていてきれいだった、会いたかった友達にバッタリ会えた、昨日よりたくさん笑った、好きな誰かを笑わせることが出来た。
何だっていいんです。あ、嬉しいな、と思える「小さな幸せ」をたくさん感じられるようにする作業は、やがて作業ではなくなり、いつしか身に付いて自然と感じられるようになり、小さかった幸せの一つ一つが一緒になって、大きな幸せになる。
幸せをたくさん感じられる自分になれれば、もうあなたはハッピーな人です。
クヨクヨしていても何も始まらない。
前を向いて「小さな幸せ」探しに出かけてみませんか!
大切な人が出迎えてくれる家
私の小さな幸せと言えば、家に帰った時に大好きな人が待っていてくれる事です。
自分が家にいても大切な人が帰ってくる居場所に自分がいる事こそが私にとっての幸せです。
まだ家族とは言えませんが、毎日ご飯を作ったり洗濯をしたり、掃除機をかけたり、もちろん私にも仕事はありますが、誰かの為に何かをする喜びを日々感じています。
そんな他愛もない日常が私は好きです。
お揃いのコップでテーブルを囲み、同じ時間に同じTVを視聴し、寝るときには横にいる。
誰もが生活の上で経験する事だと思いますが、時間を共有出来る事がどんなに大事かを改めて知る事が出来た今だからこそかもしれません。
人だからこそ当たり前に感じてしまいやすい日常ですが、傍で支えてくれる人がいる事がどれだけ大切な事かを私自身も忘れる事がないようにします。
私が小さな頃、家に帰ると「おかえり」と声をかけてくれた家族のように、今度は私が「おかえり」と見守っているんです。
季節に関係なく温かい家が私は大好きです。
そんな私の小さな幸せが伝わるように、これかも当たり前を当たり前に感じないような居心地のいい空間を大切にしていこうと思います。
私にとって日常の全てがきっと幸せなんだとも思えます。
妊活中のわたしのちいさなしあわせ みーつけよ
私は3月で30になる。20代最後の日々を何気なく、のんびり過ごしている。もともとマイペースなわたしだから毎日が気づいたら終わっていっている感じで 特になにもしてないんだけどなあといつもこんな感じ。
そんな私もやっぱり周りが結婚、妊娠と順調にいっていることがとても羨ましくて焦ってしまったこともあった。今も余裕といったらきっとうそになる。
けど、最近やっと「いま」を受け入れられるようになってきた。
もともと生理不順で生理が遅れたら妊活のスタート地点にも立てないじゃないかと自分を責める日々もあったけれど、いまは子供がいない夫婦の時間を楽しまないと もったいない!と前向きに思えるようになってきた。
悩んでも悩んでも結果が変わらないことに悩むのはばかだ。
でも一度くらい立ち止まって悩んでも、そこから立ち上がれるならそれは意味のある時間だったんじゃないかと。
そういえば私ってとってもポジティブなんだったって最近思い出しました。
だから最近はもし子供ができたら、とプレッシャーにとらえるんじゃなくて、男の子だったら女の子だったらこうなんだろうなっていい意味で 楽しく妄想したり。
いまの私にしか楽しめないことがあるはずだから。乗り越えられることしか神様は試練をあたえないはずですよね。