みんなの小さな幸せ日記

みんなの小さな幸せ集めました。

我が子の子供の成長に涙がほろり

我が家には小学生の二人の息子がいます。


今でこそかわいいと思える子供達ですが、もともと可愛いものとおしゃれが好きな私としては当初から娘を持つことが夢でした。


体力もありわんぱくな子供たちに振り回されるような生活を送って、毎日ヘトヘトになっていました。


しかし、下の子が小学校に入学したあたりから自分の時間を持てるようになり、もともと好きだった手芸を再会しました。


さて、何を作ろうかと考えたときに一番に思いついたのが息子たちの服です。


カラフルな服が好きな私の息子たちですが、年々男の子の服ってモノクロの物が主流になってしまうんですよね。


もしくはスポーツブランドのジャージ。


でも、うちの息子たちはそれが嫌なようで毎回カラフルな服を探すことに苦労していたので、この際作ってしまおうと思ったのです。


幸い二歳の年齢差があるものの、二人の体格差が殆ど同じなので一枚の型紙で服が作成できることも私のやる気を盛り上げてくれました。

息子たちに話すととても喜んでくれ、一緒に生地を選びに行くことになりました。


上の息子は高学年になり、親との距離をとりたい時期かなと思ったものの一緒に洋服の作成を楽しんでくれました。


そして、できた服を見た二人は「ママ、ありがとう」ととても輝いた笑顔を私に向けてくれました。


その上、出来たパンツを見た長男は「ここには僕がボタンを付けたい」といって、弟の分とお揃いに買った木製のボタンを二着分縫い付けてくれました。


今年から家庭科が始まったというものの、糸を通すだけでもかなりの時間を要してしまうような状態でも懸命にボタンをつける息子を見て、その成長に涙がこぼれそうになってしまいました。


こうした親子の時間こそが私の小さな幸せです。

自分ができることで人の笑顔を導くことが「小さな幸せ」

基本、どんなことにも幸せを見つけ出そうとしています。自分ではそんな風に思っていなかったのですが、それを人に言われて気づきました。


「ふうん、そんな風に考えるんだね」って。その人は、毎日結構職場で私を観察していたのでしょうね。何かあっても明るい顏している私に、ちょっとした嫉妬も持っていたのだと思います。

 

「クレーム」の多い、ちょっと辛い仕事をしているので、私達は何もしていなくても、朝からネガティブな気持ちに追い込まれていくことが多いです。


 そんな中で、唯一何をもって気持ちを切り替えられるか、というと、職員同士のコミュニケーションになります。

 

彼女達数人の顏はもう半日経過すると披露の色が見えます。そんな時、私は「ばか」になるのです。今はTVでも、「天然」と呼ばれる人達がひっぱりだこですが、同じなのかもしれません。


 「えー、そんなのも知らんくて、よく生きていたね」と、からかわれたり、馬鹿にされたりしますが、あえてそういう役まわりをすることで、気持空気も和みます。

 

そしてそんな空気の入れ替えができた、と思う瞬間こそが、私の日々の「小さな幸せ」と言えるでしょうか。これは延いては居心地のよさとなって、自分にも返ってきます。

見栄えもよくて美味しいスイーツやパンが出来上がった時

スイーツやパン作りを趣味にしています。
色々なレシピをチェックして、こういうものを作りたいと思うものがあったら作るようにしています。

そんなスイーツ、パン作りの中でこれは失敗してしまった、というものも多いです。
でも逆に見栄えも良くてどこかのお店で購入をしたもののような自分でも大満足、というものが出来上がると幸せな気持ちになります。


それがとても美味しかった時。
見栄えもよくて美味しい、というものができた時は嬉しくもなりますし、幸せを感じます。


写真を撮ってSNSにアップをして、嬉しいコメントをいただけたりするのも嬉しいです。

失敗をすることも多いですが、上手に出来る時もあります。
本当はすべて成功、満足できる仕上がりになったというのがベストなのですが、そういうわけにもいきません。
失敗をしてその中から次はこうしよう、という気持ちにもなれると思うのです。

レシピサイトをチェックして、参考になりそうなものをピックアップして別のものを作るということもあります。


例えば杏仁豆腐の材料をちょっとアレンジして杏仁ムースにしたり。
それもある意味思いつきです。


そのアレンジをしたものが成功をすると、本当に嬉しいですし、ささやかだけど小さな幸せです。

毎日残さず食べてくれるお弁当

私は今、彼と結婚を前提に同棲をしており、
お互い30近いのですが、
なかなか収入の安定しない毎日を送っています。


なぜならば私は現在、
病気を患い、闘病生活を送っているからです。

病気なる以前は正社員として会社勤めをしており、
平均以上は給料をいただいていたのですが、
治療にできる限り専念ができるようにと、
その仕事を辞め、時間等に融通の利く所で、
パートとして働くようになりました。

その結果、彼のお給料の3分の2にも満たない収入しか、
今現在、稼ぐことができていません。

そして何よりも治療費が毎月
5万円以上かかってしまっているのです。


そんな自分でも同棲しようと言ってくれた彼に、
それ以上の負担をかけたくなくて、
できる限り彼を支えたくて、
同棲を始めてから家事は基本的に全て自分が担当し、
毎朝5時頃仕事に出かけていく彼のために
お弁当を作ることにしました。


しかし彼のお弁当を作るためには4時前に起床をし、
力仕事の彼の必要な量と
栄養バランスを考えてお弁当を作るのは、
私にとってそこまで簡単なことではありませんでした。

また料理もそこまで得意ではなかったので、
きっと美味しくない日もあったことと思います。

寝坊をしてほとんどおかずの入っていないお弁当だったり
お弁当には適さないおかずを入れてしまったり

そんな日も数えきれないくらいあり、
彼を支えたいと思っているのに、
お弁当のせいで迷惑をかけてしまうことが何度もありました。


それなのに彼は今日まで
お弁当を残したことは一度もありませんでした。
同棲を始めて1年以上経った今でも
空のお弁当箱を毎日持って帰ってきてくれます。



これが私の小さな幸せです。
今日も残さず食べてくれたんだと
空のお弁当箱を見て幸せを噛み締めています。

居なくなった猫に似ている猫が近所に…

3年程前に、家の庭に2匹の兄弟子猫が遊びに来るようになりました。

 

その頻度は徐々に増え、もともと動物好きの私の家族は、その2匹の兄弟子猫を我が家へ招き入れることにしました。その名も、チビとチビ助。(安易につけすぎました。笑)


家族にも、私にも慣れてきてくれた兄弟子猫は、帰ってきたときには足にスリスリ、名前を呼べばニャーと返事をしてくれます。どんどん大きくなり、それと同時に私たち家族の愛情も大きくなっていました。


兄弟猫を招き入れてから2年程経ったある日、体の小さかった方のチビ助が、家から脱走。1週間、1か月待っても帰ってきません。

 

これはどこかで事故にでも遭ったか、、、そう諦めました。もともとノラちゃんなので、好奇心旺盛だし、怖いもの知らずですからね。


そして、チビ1匹の生活が始まり、1年経ち、その生活にも慣れていました。私も、家族も。


しかし、父が家の近くに散歩に行ったときに、ある日居なくなったチビ助に似ている猫が近所にいる!と言ってきました。さすがにもう生きていないんじゃないか、近所にいたら帰ってくるはずだろう、と思いつつも、父が言うその場所へ行きました。
・・・・・違う猫でした。(笑)


でも、その違う猫ちゃんに「チビ助」と呼ぶと「ニャー」を返事をしてくれるのです。しかもチビ助のように可愛らしくない低い声で。(笑)足にもスリスリしてきてくれました。


その猫ちゃんは何歳かもわからないし、名前もわかりませんが、飼い主様にたくさん愛されているのでしょう。とても人懐っこい猫ちゃんでした。


結局、あの時居なくなったチビ助には会えませんでしたが、3年前の2匹の兄弟子猫を招き入れたこと、徐々に懐いてくれて「ニャー」と返事をしてくれたこと、、、たくさんのチビ助の出来事を思い出させてくれました。近所のチビ助似の猫ちゃんに感謝です。

これを書いているとき、チビは隣で寝ていました。


小さな幸せの瞬間です。

手を繋ぐことで感じる幸せ

結婚して10年、今好きな人が2人居ます。


いちばん好きなのは、もちろん主人です。毎晩主人の寝息を聞きながら、信頼できる人が隣にいる安心感を感じつつ眠りにつきます。


最近は私から手を繋いだりくっついたりすると、本気で嫌がったりするので、そこを無理矢理押さえつけてくっつくのが好きです。


もう1人は独身時代の職場にいた、7歳年上の既婚者です。


私が結婚する前からの関係で、今はダブル不倫の状態ですね。


定期的に会って、食事をして散歩をしてホテルに行きます。


散歩するときは彼から手を繋いでくれて、セックスも優しくキスもちゃんとしてくれます。


主人も結婚する前は優しく抱いてくれましたが、結婚してからは全然ですね。釣った魚に餌はやらないタイプかな、男はみんなそうなのかもしれないですね。


時間も限られているからなのか、彼とのセックス中は、このままずっと居たいと思うくらい、幸せを感じます。主人とのセックスでは、すっかり無くなってしまった感覚です。


結婚して特定の相手がいる安心感と、不倫相手に大事に扱って貰って感じるドキドキを、両方感じられる今は、かなり贅沢な性生活を送っているなと自分ながら思っています。


手を繋がれるときのちょっとしたドキドキは、小さな幸せだけれどこれ以上大きくしてはいけないなと自分を戒めています。

私の職場における少し小さな幸せ

私は現在ある施設の薬局で薬剤師として働いています。


そんな職場での私の少し小さな幸せを感じることを紹介したいと思います。

その前に今回の内容につながる話にもなりますので、仕事の内容について簡単にお話ししたいと思います。


おもに、業務内容としてお医者さんが出された処方せんにのっとって調剤するということが主なメインな仕事内容となります。


通常であれば処方せんが出されて、その薬を調剤するとその患者さんが薬局にお薬を取りに来るのですが、なんらかの事情で取りに来られない方も中にはいます。


そんな方にはどうするかというと実際に住んでいらっしゃる場所までお薬を配達します。
そしてそこで少しお薬の内容などを説明して終わりとなります。

この業務の中で、私にとっての小さな幸せが生まれます。


それは、私たちにとっては業務の一つですので当たり前のことなのですが、いつもありがとうといってくれます。


そして、本当はよくないことなのかもしれませんが、たまにお菓子やジュースをもらえたりします。


「いつも、いつも本当にご苦労様。」


「そしてこれからもまたよろしくお願いしますね。」


と言われると本当にこちらとしても働いていてよかったなと感じます。

人にとっては幸せな感じ方はさまざまあります。


私にとっての小さな幸せはこれです。

普通の生活が出来る事

3年半前に母親が、病気で亡くなりました。それまでは、特別普通の生活をしていました。そのため、何も幸せも感じる事がなく普通の生活でした。

 

しかし突然母親が亡くなってから、母親がいた時のありがたみが分かりました。家事もやってもらっていたので、助かっていたのを実感しました。

 

父親と2人暮らしになり、私がメインで家事を行うようになりました。その後家庭で大変な事が1年近くあり、 精神的にも辛い事になっていました。その後は問題がなくなると、普通の生活が幸せに感じるようになりました。

 

母親が亡くなる前に病気にかかってしまったけれど、普通の生活が送れるだけでも幸せだなと思いました。そのため、大きな幸せがあればもっといいが嫌な事がない生活は幸せなんだなと思うようになりました。

 

単純な事でも幸せを感じるようになり、親の存在は大きいなと思いました。居なくなってから感じたのは遅いかもしれないが、気が付いたので良かったと感じました。

 

まだ父親が元気にいるので、2人の暮らしを幸せに感じて過ごしていこうと思っています。母親が居た時のような生活が続くように、していきたいと思いました。そんな事が小さい幸せだと最近時に感じています。

湯船の中の小さな幸せ

人が聞いたら笑ってしまいそうな、そんな些細でちっぽけな幸せなのですが・・。

一日の仕事が終わって帰宅すると、すぐにお風呂場に向かいます。小さな、人ひとりがようやく入れるくらいの湯船ですが、そこにお気に入りの入浴剤を入れます。入浴剤は常に20種類ぐらい常備していますが、その日の気分によって使い分けます。

 

夏ならば炭酸ガスのさっぱり系、冬だと粉末タイプの名湯シリーズ、特ににごり湯系が温まります。そんな入浴剤入りのお風呂にじっと浸かりながら、その日一日あった事をぼうっと考えている時間が私にとっての至福の時なのです。

もちろん嫌な出来事があった日もあります。そんな時でも【ま、いっか。明日からがんばろう】と思い直し、人から親切にされた事があったら【あの人みたいな人間になろう】、人に冷たく当たってしまったと思ったら【明日、謝ってみよう】、そんな事を考えています。

 

一日の終わりに今日の自分を振り返り、とりあえず一日無事に過ごせたことに感謝し、明日もきっといい日になるだろうと思えるのも、やはりこの入浴剤の香りと温かいお湯のお蔭なのでしょう。

お金も名声も人望も地位も、本当に何にもない私ですが、一日の終わりにゆっくりと体と心を休めることが出来る場所がある、それが私の小さな幸せなんだと思います。

キバタンは賢く可愛い

私にはとても大好きな子がいて、年に数回しか会えずしかも会いに行っても毎回かまってくれるとは限りません。

 

私の大好きな子とはキバタンの『キーちゃん』です。キバタンとはオウム科の鳥で頭も良く人間の言葉も覚えるそうで、オーストラリアが主な生息地だそうです。キーちゃんは函館公園の中の動物園にいます。ここは様々な理由で野生に帰れない動物保護もしていて、キーちゃんもその一匹の様です。

 

他にもポニーやシマリスやヤギ等々多種多様の動物がいます。キーちゃんは人が大好きで機嫌が良いときは会いに行くと止まり木からわざわざ地面に降りてきてこちらに近づいてきてガラスを軽くこんこんとしてくれたりこないだはその日はバナナがご飯だったみたいでわざわざ足で器用に掴み持って来て私の目の前で食べる所を見せてくれました!

 

もしかしたら自慢しに来たのかもしれませんがなんだかほっこり小さな幸せ気分になりました。まだ言葉を話している場面には遭遇したことがないので行く度にキーちゃんに『こんにちは』と話かけています。

 

いつかキーちゃんからこんにちはが聞けたらいいなと思います。ただキーちゃんはご機嫌がよろしくないときは止まり木から降りてきてくれず相手もしてくれません。だけど帰ろうとするとこっちを見つめてきたり少しツンデレな一面もあって、また会いに来たいなと思わせる所にさらにメロメロです。