みんなの小さな幸せ日記

みんなの小さな幸せ集めました。

私にとっての小さな幸せ

私たちは日々の生活の中で何かを経験をして初めて、失ったものの大切さや、その時々の小さな幸せに気づくと思います。
私と私の彼女は、遠距離をしています。アメリカとベトナム。私は日本人で、彼女はベトナム人です。
数年前、私と彼女は外大で知り合い、縁があって付き合うようになりました。
彼女は交換留学生として1年間在籍し、私も一年間だけ在籍し、その後に中退して渡米しました。

結論から言えば、現在も付き合っています。そして、残り1年半経てば、一緒になることができます。
彼女は私が卒業するのを待っていてくれているのです。

私にとっての小さな幸せは、寝る前の電話と時々くるラインです。
私はベトナム語の読み書きができます。ベトナム語の発音はできません。発音声調を独学でマスターできないのです。
なので電話はお互い日本語で、ラインはベトナム語と日本語で会話します。

それをお互い毎日欠かさず。週に3,4回が一般的には普通なのかもしれませんが、
そんなことをしていたら、何か何処かでお互いに誤解をし、きっと関係性は既に崩れていたと思います。

感謝はいま身近に感じながら生活しているけれど、きっとどこかで慣れてしまってそれを当たり前のように思ってしまいがちです。
その当たり前だったことを失いすぎたとき、失いすぎてその場に戻ってこれなくなってしまうかもしれません。

1年半後、彼女は東京で就職し、私は帰国し、一緒に生活するようになります。
もし、それが当たり前になってしまって、お互いにおたがいを感謝や、そこに小さな幸せを見いだせなくなったとき、
私たちの関係はかたちを変え始めます。

私は、幼馴染の彼女だった女性に「ごめんね」と言えませんでした。
高校が終わり、別々の道に進み、遠距離をしました。東京と仙台の距離です。
結論から言えば、私たちはおそらく誤解をし合いました。喧嘩をしお互いしばらく連絡を取り合わなくなりました。そして気づいた時にはメールが送れなくなっていました。

 

おそらく、携帯をスマホに変えたのだと思います。私たちの関係は終わり、たぶんかつての幼馴染の関係には戻ることはないと思います。

今の私の小さな幸せは、今の女性と電話をするその時々、
そしてラインをするその時々です。