子供の寝顔はほんとに天使
なぜか自分の子供には、小さなことでも怒ってしまいます。よその子には何とも思わないのに。
ダメですねぇ。
朝も仕事に行くので忙しく、早い時間からバタバタしているのですが、そんなときに子供がいつまでも寝ていると、早く起きて?と怒ってしまいそうになります。
でも、あの寝顔。たまらないですよね。
早く起きて!と言葉が出そうになるのですが、あの寝顔を見てしまうともうちょっとこの寝顔を見ていたいと思ってしまいます。
近づいたり離れたりしながら…我慢出来なくなって、プニプニスベスベのほっぺたにチュウをしてしまいます。この瞬間がたまらないです。こういう何気ないことが幸せなんだろうなと思います。
チュウし出すと止まらなくなって、何回もしていると起きてしまいます。その起きた子供の顔が…ものすごく眠そうで、ものすごく迷惑そうにしています。
もう少し幸せな時間に浸りたかったなと思いつつ、またバタバタと朝の時間を過ごし仕事に出掛けます。幸せな瞬間って、ほんと日常の中に多々あるんですよね。子供といるとよくわかります。
不意におもしろいことを言ったり、おもしろい行動をしたり…子供って予測できないことがほとんどですよね。
あぁ、わかっているつもりなんですが…やっぱり怒ることは控えたほうがいいですね。ほんとに必要なときだけにしないといけないですね。
こんな幸せな瞬間をくれる子供達とも、永遠に一緒にいられるわけではないですからね。
ありがとう大好きヒメ。
私の癒し、イライラした時、悲しい時もいつも、一緒にいてくれてありがとうヒメ。
ヒメは、ポメラニアンとチワワの雑種の女の子です。
かなり変わったワンコなのです。まず、お肉嫌い、魚大好き、特にお刺身私の赤身のマグロを前足器用に使ってさらりと取った。
私は、目が点、前飼っていたワンコは、お肉大好きだったから、まさか刺身~取ったて来たばかりの時言ったけ、あれから早いもので5年、ヒメがいると小さな幸せが沢山あるよ。
ヒメは、散歩嫌い家のネコの額しかない庭が大好き叔母が、可愛がっている先輩野良猫まだらとネコエサ取り合い来た時は、ネコエサを食べようとし、今はまだらと、張り合うため食べようとすれども口に合わずに、頭から突っ込んでネコエサだらけ。
こんな変わったワンコはじめの経験が、ヒメとの私の絆になっていくね。そうそうヒメは、車が大好き一緒に行くというと、喜んで車の周りを走ってちゃんと車のドアの前でおすわりして待ってます。
ドアが開くと中に入ろうとしますが、オチビなので、車の座席まで届きません。それでもヒメは、自分で乗ろうとがんばりますけどやっぱり、ヒメには、無理なので車に乗せるとうれしい顔する。そんなワンコに、毎日癒され小さな幸せを、感じる私のです。
小さな幸せについて考えた
小さな幸せというといろいろな場面にあるものだとおもいますが、それぞれどんな風にして幸せを考えることができるか、それぞれの手段によって考えてみたいとおもいます。
幸せというと、どこでもある普通のことのようにおもうことができるとおもいますが、幸せそれぞれにあることとして、ものや、周囲から見れるものによって見ることができるとおもいます。
物を見ることや、物について考えることで幸せを持つことができるのは、それぞれの場合にあるものとの関係、ものによってそれぞれどんな風にして自分の生活の中にあるそれぞれのことをみることができるか、考えることができるとおもいます。
ものによって見られるそれぞれの考え方として、ものに変わった自分自身の感情や、ものによって充足されたときの自分自身の感想などがあるとおもいます。
それぞれ幸せや、小さなことに関係していて、それによって変わることができる自分の身近なことによって見られるいろいろな変化についてのこととして、自分の周りにおきたものごとを変えるために利用する。
小さな幸せに変わるものとして、いろいろな場面にある生活の方法として考えることができる変化をみることができるようになるとおもいます。
暖かな飲み物で感じる小さな幸せ
木枯らしがふいたり、初雪が降ったり。いつのまにか、今年もそんな時期になってしまいました。寒いのは苦手です。こんなふうに気温が下がって寒くなってくると、なんだか理由もなく、ちょっぴりさみしい気持ちになってしまいます。
でも、この時期に感じることのできる、小さな幸せもあります。それは、暖かい飲み物や、食べもの。体が冷え切った時の温かいカフェオレや、ホットミルクや、豚汁、クラムチャウダー。
体が冷えていればいるほど、寒ければ寒いほど、そういった飲み物や汁物を口にすると、ほっとした気持ちになります。そして、小さな幸せを感じてしまいます。立ちのぼる湯気を見ている時も、そういう気持ちになることがあります。
暖かな容器に触れて指先が暖まったり、それを口にして、ゆっくりと体が暖まったりということは、きっと誰しも経験があることであるような気がします。
ストールを巻いたり、厚手のセーターを着たりしても、体の中まではなかなか暖まりませんよね。
凍えきった体を温めるには、やはり、内側からのほうが、早いような気がします。
冬は苦手です。でも、こんなふうに温かいものによって幸せな気持ちになれることを考えると、それほど悪くはないな、と思ったりもするのです。
子供には内緒の小さな幸せ
私はとにかく食べることが大好きで毎日毎食何を食べようかということばかり考えてしまいます。決して痩せているわけではなく、本来ならばダイエットしなければいけないところですが、全く食事制限がてきません。
そればかりか最近の楽しみは子供たちを寝かしつけたあとに食べる夜食。我が家は夕飯が午後6時とかなり早めの夕食のため、夜にはお腹がすいてしまいます。ですので夜食を食べないと空腹で眠れないなんてことも多々あります。
1日仕事で疲れ切って夕食の支度もし、子供たちのお風呂や次の日の支度など毎日てんてこ舞い。ようやく寝静まったときに食べる夜食といったら格別です。
辛い物が大好きなのでカップ麺やスンドゥブチゲなど主に汁物を中心にほぼ毎日夜食を食べます。それが私の小さな幸せです。健康的にはあまり良くないですし、おすすめはできません。しかし私はどうしてもやめられないのです。
おいしい夜食を食べて幸せな気分のまま寝ることが私のストレス発散法でもあります。ですが健康には良くないので、なるべく低カロリーなもので量を減らすなどの工夫は少しづつしていきたいと思っています。すごくすごく小さい事ですが私にとっての幸せ。
夜食最高です。
親孝行をすることにより得られる自身のささやかな幸せについて
私は父を急死で亡くしました。父には心の中では深い感謝をしていたものの、具体的な行動で恩返しをしたり、感謝の言葉を述べることをほとんどしていませんでした。突然の別れにより、一生の後悔を今でも内に秘めながら、残された母には父の分も親孝行をしたいと思い至るようになりました。
父は母をよく旅行に連れていっていましたので、私が年に数回、近場の温泉地などを一泊旅行で連れていくことを私の義務と課すようにしました。母は控えめな人なので、決して自ら要求はしませんが、私が連れていく旅行を心から楽しみにしてくれて喜んでくれました。
私が旅行に行きたいから行動しているわけでは無いのですが、私には小さな幸せになっています。父に果たせなかったこと親孝行を少しは出来ているという自己満足と、家族が喜んでくれることにささやかな貢献が出来るというのは良いものです。
また、正月や誕生日に限らず、親兄弟が集まって食事をする場を持つようにしています。家族の交流を持てること自体が母にとっては一番幸せであることが、父を亡くした今、私にはよく理解出来ます。妹も私と同じマインドを持って母に接してくれるので心強い限りです。
大切な家族の喜ぶことをすることで私自身が小さな幸せを得られることを遅まきながら学びました。両親への恩は返しきれませんが、今後もささやかながら親孝行をしていきます。
本日妻から日頃の不満を打ち明けられました。
本日夕ご飯は親子丼でした。いつもの親子丼に比べると少し甘めで私好みだったので
「いつもより少し甘いよね。好みでおいしいよ」と伝えたところ「今日の親子丼はいつもと作り方が違うの」との回答ありました。
「卵を入れる前のあんの段階まで作って一回冷凍させたの。それを今日解凍させて卵を溶いてつくったの。」と続けて作り方のレクチャーがありました。
そして「帰ってくる疲れちゃって何も作る気にならなかったときや、食べるものがなかった時にどうしようってなるのがとても不安なの」と思いを打ち明けてくれました。
現在妻は妊娠していて動くのもつらいのにいつもお弁当や夕ご飯を作ってくれているのでその度に感謝を伝えているのですが、溜まっているものもあるようなので不満を打ち明けてくれ良かったと思ってしまいました。
だからといって平日は仕事を早く切り上げて帰れるわけではないのでできるだけ休日や帰ってきた後にフォローできるように頑張っていこうと思いました。
と同時に結婚して4年目になりますがなかなか思っていることを伝えてくれる妻ではないので思いを自分の言葉で伝えてくれるのがうれしかったのです。
妻とずっと一緒にいたいと思っているのでこのようなことが小さな幸せだなとかみしめて行ければなと思います。
私が感じる小さな幸せなこと
私が最近感じる幸せなことは、人からたくさん話をかけてもらえることです。
私はもともと人と関わることが好きではありませんでした。どうしても人といても理解してもらえなくて、理解してよ!という気持ちばかりが優先されてしまっていました。
そんなときは、孤独感も大きく感じていました。そして、沢山の友達がいても、悲しい気持ちになっていて、私は人間が嫌いだ!となっていました。
何があったのかわからないのですが、私は自分から物事を発信することが得意じゃないなと感じることが何度かあって、コミュニケーションにも自信を持てなくなりました。
そのときから、聞き役を上手く出来るようになろう!と努力するようになりました。初めは、人の話なんか興味なくて、つまんなかったのですが、最近は話しかけてもらえる
ことだけでも幸せに感じるようになってきました。
私が、下手くそな相槌をしているのにもかかわらず一生懸命話してくれて、わかってもらおうとしてたくさん話してくれる人の姿を見ていたら、幸せに感じるようになってきました。
こんな相槌でもいいのか…と思うようになりました。そしたら、人の話を聞いていることが楽しくなってきて、 寂しさもなくなってきました。
自分をわかってもらおうとするより、人を理解しようとするほうが寂しさがなくなるのです。なぜだか、今では人の話を聞くことが楽しくて しかたありません。私の今の幸せは一生懸命自己表現をしてくれる人たちと関わる事です。
今ではコミュニケーションも聞き役に周って話しかけてもらえることに感謝出来て
私は、人から話を聞くことが幸せで仕方ありません。
私が幸せに感じたデートでの出来事
私は今まで、恋愛では大きなサプライズや優しさや目に見えての思いやりや愛情が大切だと感じていました。 なので、男性があまり努力しないと愛情を感じることが出来なくて、私はすぐ別れを選んでいました。
お金を出してくれなかったり、優しくて甘い言葉を沢山言ってくれなかったり、寂しさを埋めてもらえなかったら、 直ぐ不満をぶつけていました。今でもそのような面はあります。昔付き合っていた男性たちは、とてもストレートに愛情表現をしたり、
メールをたくさんしてくれたり、とてつもない努力をしてくれました。それでも私は感謝の気持ちは湧かないでいました。
しかし、歳をとってきて、あまり恋愛が長続きしないことに悩んでいたら、ちょっとしたことに気が付きました。 小さな愛情を探そう!ということを私は考えました。そしたら、今では言葉では愛情表現してくれなくても、小さな優しさや、 小さな思いやりに感謝して幸せに感じることが出来るようになりました。
たとえば、寒い時は洋服を一枚貸してくれるとかそのような 当たり前みたいな優しさに幸せを感じるようにして、感謝をするようになりました。そしたら、恋愛が長続きするようになりました。
そして、傲慢な気持ちがなくなって、男性からの優しさを沢山感じることが出来るようになりました。小さな幸せを感じていたら、 大きな幸せになりました。小さな幸せはそこらじゅうにあるんだなと感じることが出来るようになって、今では、普通のデートがとても幸せです。
子供の心を満たしてあげると小さな幸せを感じる
子育て中の親なら、教育やしつけについていつも頭の片隅にあるものです。
私のやり方は合っているのだろうか。
子供への接し方は大丈夫なのかどうか。
明確な答えがない問題だけに、 常に不安が付きまとってしまいます。
なるべく子供とは真摯に向き合っていきたいと考えています。
子育ては、今の私にとっては一番やりがいを感じる分野です。
自分が親からもらったものは、自分の子供にも引き継いてあげたいです。
絵本を読んだり家族でゲームをしたり、 大げさなことは何もありませんが、小さな幸せにつながっています。
だからこそ、自分が子供の頃に親にやってもらったことは
なるべく子供にも時間や労力を割くようにしています。
ご飯を食べてお風呂に入れて、
さあ、寝ましょうか、という時に、
子供はなかなか素直に寝てくれません。
まだ眠たくなーい、なんて言いながら、
ゲーム遊びやアニメを見るなどやりたいことを並べます。
もう寝る時間なので、
本当は、寝なさい!と一喝して無理にでも寝かしつけたいところですが、
ぐっとこらえて一緒にゲーム遊びに付き合います。
思い起こしてみると、私も小さい頃に親に遊んでもらった記憶を思い出します。
一通りゲームが終わると、子供は満足して寝てしまいます。
その満足気な寝顔を見ると、小さな幸せを感じます。