居なくなった猫に似ている猫が近所に…
3年程前に、家の庭に2匹の兄弟子猫が遊びに来るようになりました。
その頻度は徐々に増え、もともと動物好きの私の家族は、その2匹の兄弟子猫を我が家へ招き入れることにしました。その名も、チビとチビ助。(安易につけすぎました。笑)
家族にも、私にも慣れてきてくれた兄弟子猫は、帰ってきたときには足にスリスリ、名前を呼べばニャーと返事をしてくれます。どんどん大きくなり、それと同時に私たち家族の愛情も大きくなっていました。
兄弟猫を招き入れてから2年程経ったある日、体の小さかった方のチビ助が、家から脱走。1週間、1か月待っても帰ってきません。
これはどこかで事故にでも遭ったか、、、そう諦めました。もともとノラちゃんなので、好奇心旺盛だし、怖いもの知らずですからね。
そして、チビ1匹の生活が始まり、1年経ち、その生活にも慣れていました。私も、家族も。
しかし、父が家の近くに散歩に行ったときに、ある日居なくなったチビ助に似ている猫が近所にいる!と言ってきました。さすがにもう生きていないんじゃないか、近所にいたら帰ってくるはずだろう、と思いつつも、父が言うその場所へ行きました。
・・・・・違う猫でした。(笑)
でも、その違う猫ちゃんに「チビ助」と呼ぶと「ニャー」を返事をしてくれるのです。しかもチビ助のように可愛らしくない低い声で。(笑)足にもスリスリしてきてくれました。
その猫ちゃんは何歳かもわからないし、名前もわかりませんが、飼い主様にたくさん愛されているのでしょう。とても人懐っこい猫ちゃんでした。
結局、あの時居なくなったチビ助には会えませんでしたが、3年前の2匹の兄弟子猫を招き入れたこと、徐々に懐いてくれて「ニャー」と返事をしてくれたこと、、、たくさんのチビ助の出来事を思い出させてくれました。近所のチビ助似の猫ちゃんに感謝です。
これを書いているとき、チビは隣で寝ていました。
小さな幸せの瞬間です。
手を繋ぐことで感じる幸せ
結婚して10年、今好きな人が2人居ます。
いちばん好きなのは、もちろん主人です。毎晩主人の寝息を聞きながら、信頼できる人が隣にいる安心感を感じつつ眠りにつきます。
最近は私から手を繋いだりくっついたりすると、本気で嫌がったりするので、そこを無理矢理押さえつけてくっつくのが好きです。
もう1人は独身時代の職場にいた、7歳年上の既婚者です。
私が結婚する前からの関係で、今はダブル不倫の状態ですね。
定期的に会って、食事をして散歩をしてホテルに行きます。
散歩するときは彼から手を繋いでくれて、セックスも優しくキスもちゃんとしてくれます。
主人も結婚する前は優しく抱いてくれましたが、結婚してからは全然ですね。釣った魚に餌はやらないタイプかな、男はみんなそうなのかもしれないですね。
時間も限られているからなのか、彼とのセックス中は、このままずっと居たいと思うくらい、幸せを感じます。主人とのセックスでは、すっかり無くなってしまった感覚です。
結婚して特定の相手がいる安心感と、不倫相手に大事に扱って貰って感じるドキドキを、両方感じられる今は、かなり贅沢な性生活を送っているなと自分ながら思っています。
手を繋がれるときのちょっとしたドキドキは、小さな幸せだけれどこれ以上大きくしてはいけないなと自分を戒めています。
私の職場における少し小さな幸せ
私は現在ある施設の薬局で薬剤師として働いています。
そんな職場での私の少し小さな幸せを感じることを紹介したいと思います。
その前に今回の内容につながる話にもなりますので、仕事の内容について簡単にお話ししたいと思います。
おもに、業務内容としてお医者さんが出された処方せんにのっとって調剤するということが主なメインな仕事内容となります。
通常であれば処方せんが出されて、その薬を調剤するとその患者さんが薬局にお薬を取りに来るのですが、なんらかの事情で取りに来られない方も中にはいます。
そんな方にはどうするかというと実際に住んでいらっしゃる場所までお薬を配達します。
そしてそこで少しお薬の内容などを説明して終わりとなります。
この業務の中で、私にとっての小さな幸せが生まれます。
それは、私たちにとっては業務の一つですので当たり前のことなのですが、いつもありがとうといってくれます。
そして、本当はよくないことなのかもしれませんが、たまにお菓子やジュースをもらえたりします。
「いつも、いつも本当にご苦労様。」
「そしてこれからもまたよろしくお願いしますね。」
と言われると本当にこちらとしても働いていてよかったなと感じます。
人にとっては幸せな感じ方はさまざまあります。
私にとっての小さな幸せはこれです。
普通の生活が出来る事
3年半前に母親が、病気で亡くなりました。それまでは、特別普通の生活をしていました。そのため、何も幸せも感じる事がなく普通の生活でした。
しかし突然母親が亡くなってから、母親がいた時のありがたみが分かりました。家事もやってもらっていたので、助かっていたのを実感しました。
父親と2人暮らしになり、私がメインで家事を行うようになりました。その後家庭で大変な事が1年近くあり、 精神的にも辛い事になっていました。その後は問題がなくなると、普通の生活が幸せに感じるようになりました。
母親が亡くなる前に病気にかかってしまったけれど、普通の生活が送れるだけでも幸せだなと思いました。そのため、大きな幸せがあればもっといいが嫌な事がない生活は幸せなんだなと思うようになりました。
単純な事でも幸せを感じるようになり、親の存在は大きいなと思いました。居なくなってから感じたのは遅いかもしれないが、気が付いたので良かったと感じました。
まだ父親が元気にいるので、2人の暮らしを幸せに感じて過ごしていこうと思っています。母親が居た時のような生活が続くように、していきたいと思いました。そんな事が小さい幸せだと最近時に感じています。
湯船の中の小さな幸せ
人が聞いたら笑ってしまいそうな、そんな些細でちっぽけな幸せなのですが・・。
一日の仕事が終わって帰宅すると、すぐにお風呂場に向かいます。小さな、人ひとりがようやく入れるくらいの湯船ですが、そこにお気に入りの入浴剤を入れます。入浴剤は常に20種類ぐらい常備していますが、その日の気分によって使い分けます。
夏ならば炭酸ガスのさっぱり系、冬だと粉末タイプの名湯シリーズ、特ににごり湯系が温まります。そんな入浴剤入りのお風呂にじっと浸かりながら、その日一日あった事をぼうっと考えている時間が私にとっての至福の時なのです。
もちろん嫌な出来事があった日もあります。そんな時でも【ま、いっか。明日からがんばろう】と思い直し、人から親切にされた事があったら【あの人みたいな人間になろう】、人に冷たく当たってしまったと思ったら【明日、謝ってみよう】、そんな事を考えています。
一日の終わりに今日の自分を振り返り、とりあえず一日無事に過ごせたことに感謝し、明日もきっといい日になるだろうと思えるのも、やはりこの入浴剤の香りと温かいお湯のお蔭なのでしょう。
お金も名声も人望も地位も、本当に何にもない私ですが、一日の終わりにゆっくりと体と心を休めることが出来る場所がある、それが私の小さな幸せなんだと思います。
キバタンは賢く可愛い
私にはとても大好きな子がいて、年に数回しか会えずしかも会いに行っても毎回かまってくれるとは限りません。
私の大好きな子とはキバタンの『キーちゃん』です。キバタンとはオウム科の鳥で頭も良く人間の言葉も覚えるそうで、オーストラリアが主な生息地だそうです。キーちゃんは函館公園の中の動物園にいます。ここは様々な理由で野生に帰れない動物保護もしていて、キーちゃんもその一匹の様です。
他にもポニーやシマリスやヤギ等々多種多様の動物がいます。キーちゃんは人が大好きで機嫌が良いときは会いに行くと止まり木からわざわざ地面に降りてきてこちらに近づいてきてガラスを軽くこんこんとしてくれたりこないだはその日はバナナがご飯だったみたいでわざわざ足で器用に掴み持って来て私の目の前で食べる所を見せてくれました!
もしかしたら自慢しに来たのかもしれませんがなんだかほっこり小さな幸せ気分になりました。まだ言葉を話している場面には遭遇したことがないので行く度にキーちゃんに『こんにちは』と話かけています。
いつかキーちゃんからこんにちはが聞けたらいいなと思います。ただキーちゃんはご機嫌がよろしくないときは止まり木から降りてきてくれず相手もしてくれません。だけど帰ろうとするとこっちを見つめてきたり少しツンデレな一面もあって、また会いに来たいなと思わせる所にさらにメロメロです。
わたしの小さな幸せは家族が元気でいてくれること
ついつい元気でいることが当たり前だと勘違いしてしまうときもありますが、当たり前ではないんだな、と改めて感じたときに、あぁ、元気でいてくれてありがたいなぁと幸せな気持ちになります。
自分や家族や知り合いが怪我したり病気にかかったとき、元気でいられることのありがたさ、元気でいられることは当たり前じゃないんだ、と感じます。
元気でいられる保証なんてない、家族が怪我や病気にならずに今日も無事に一日過ごせたこと、それは幸せなことなんだと思います。
家族が嬉しそうな顔をしているときも幸せを感じます。
やっぱり大好きな家族が笑っている姿を見ると嬉しいです。
苦しそうなときは辛いです。
嬉しそうに、楽しそうにしている姿を見ると、わたしは幸せです。
これからも家族が毎日元気でいてほしいです。
笑顔で過ごしてほしいです。
生きていると辛い日もあり、辛さでいっぱいになってそんな幸せを幸せに感じられず、当たり前のことに思えて見えなくなってしまうときもあるけど、でも、やっぱりまぎれもないありがたい幸せです。
この小さな幸せをずっと大切にしていきたいです。
犬とのお昼寝は至福の時間
私の家ではトイプードルを飼っています。
トイプードルは、毛が抜けないので室内で飼いやすく我が家の犬もいつも室内にいます。
室内で飼っているせいか、甘えん坊でもしかしたら自分のことを犬じゃなくて人間だと思っているのでは?と思う仕草を見せることがよくあります。
初めて飼う犬で、家族みんなで可愛がっているのですがそんな犬を飼い始めて我が家には笑顔や会話が増えました。
犬が散歩の時にこんなことをした、毎日同じ時間に散歩をしている柴犬の飼い主と友達になった、待てをしながらよだれをだらしていたなど、あげたらきりがありません。
そんな中ても、私が一番幸せを感じるのは一緒にお昼寝をしている時です。
普段は仕事で忙しいため、なかなかお昼寝をすることはできないのですが休日は違います。
あったかい日差しが差し込む昼下がり、リビングでごろんと横になっていると必ず犬がそばにきて一緒に寝転びます。
それだけではなく、お腹を出して撫でてほしい意思をちゃんと伝えてくるのです。
犬の柔らかいお腹を撫でてあげると、とっても気持ちよさそうな顔をしながら眠ってしまいます。そんな犬の顔を見ながら気がついたら私も眠ってしまうことがよくあります。
そんな静かな時間が小さな幸せを感じる瞬間です。
ありがとう。が勇気をくれた
私は、動物病院で動物看護師として働いている。
ペットブームの中でも、特にさいきん患者さんで多くくるのは″ 猫ちゃん ″。
数年まえからの猫ブームは、いまだに衰えることなく私のまわりでも猫を飼いはじめている人が増えている。
この仕事をしていて思うのは、命の尊さ…。
ケガをしていたり、病気だったりと 患者さんの症状は、さまざまだ。 中には、助けられなかった命もあった
そのたんびに、正直この仕事をしていることが苦しくなる。
本気で辞めてしまおうかって考えたこともあった…。
でも、ある猫と少女の出逢いで私は、変われた。
数ヵ月前。小学校低学年位の女の子が息を切らして駆け込んできた?
「 助けてあげて下さい。このこ、車にぶつかって でも車、どっか行っちゃって……。」と泣きながら言う。
「……。わかった?まかせて。」と私は医師に事情を伝えた、医師は快く受け入れ 猫ちゃんは、一命をとりとめ、心配していた後遺症などもなく、介抱にむかっていたが、新たな問題が…
実は、この猫は野良猫らしく 少女は飼いたい、でも母親は反対。
ケガが治っても行き場がない。
少女は、懸命に母親を説得してくれているらしい…。
だが、なかなか難航のようで。
毎日、懸命にお見舞いに来てくれる少女…。猫も少女に心を開いている。出来ることなら、と誰もが思っていた
そのとき、少女の母親が現れて
「ちゃんと、めんどうみるのよ… 」
母親は、少女が毎日、病院に来ていたことを知っていたのだ。
少女は、泣きながら喜んでいた。
そして退院の日。
「おねぇさん、私 将来、おねぇさんみたいな看護師さんになるよ?本当に、助けてくれてありがとうございました。 」
この言葉が、どれほど勇気をくれたか。
今も思い出す…。私に勇気をくれた言葉
小さな幸せをくれる言葉
″ありがとう ″
2年半ぶりにに感じた幸せなこと
私には1歳6ヶ月の娘がいます。
娘が生まれてから1年半の間完全母乳でした。私の母乳の出はとても良かったみたいでミルクを足すことなく育てることができました。
母乳はとても赤ちゃんに良い栄養が沢山入っていて母乳を飲んでる子の方が風邪を引きにくいと聞きました。
その為母乳がしっかり出てくれたことは母親からしたらすごく嬉しかったし娘との授乳という共有できる時間も持ててとても良かったです。しかしその反面、母乳を赤ちゃんにあげるということは母親の色々な面での制限がかかります。
お酒や市販の薬が飲めない、辛いものが食べれない、脱毛など美容面でも制限がされてしまうものもありました。
その中でも私は薬が飲めないのが1番辛かったです。元々偏頭痛持ちだったので常に痛み止めを所持して、なりそうな感じがわかるのでその前に薬を飲んで対処してました。
それができなくなってしまった為、痛いのをただただ我慢することしかできなくなってしまったのが本当に辛かったです。頭が痛い中娘の面倒も見るのは大変でした。でもどうしようもないので我慢して耐えました。
それが先日娘の胃腸炎をきっかけに断乳をしなくてはいけなくなった為その延長線上で卒乳をしてしまいました。
そして卒乳した為に規制されていたことが解禁されたのです。
約2年半ぶりに何も気にせず食べれたり薬を飲めたりすることができました。それが私の中ではここ最近の、小さな幸せです。